優秀な人はインプットがすごい
今回はインプットの大切さに関する記事です。
勉強をするにせよ、インプットとアウトプットなどを考えながら行動しているという人は多くないのではないかと思います。
私の見解は、
「アウトプットをとにかくしろという人もいて、それも間違いではないです。しかし、適切なインプットによって正しいアウトプットが出来る」
というものです。
では、掘り下げていきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今回NewsPicksさんで取り上げた記事はこちら。
https://newspicks.com/news/3910700
出来る人はインプットがすごいという話です。
この記事に対する私のコメントです。
↓
↓
↓
子どもたちの中にも、ノートに書くことによって学力が上がると思っている子もいます。
そうではなくて、そのノートに書いたことを理解したときにインプットになります。
ノートに1度書いたくらいでは覚えられない人は大多数なので、そこも学校の先生が伝えられると良いです。
テストなどにも当てはまりますが、80点→100点にするのと、40点→60点にするのとでは大変さが違いますね。
様々な事をある程度知っていることによって、知識をつなげられることもあります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
まず、これは学校教育などでの弊害でもあるかもしれないですが、とにかくノートにこだわります。
私自身、大きな怪我をして学校に行くことが出来なかった際にノートを友人に見せてもらったことがあります。
その友人のノートは色などが丁寧に使われており、線なども丁寧に引かれていた記憶があります。
しかし、学力でいえば普通くらいでした。
もちろんきれいに書いてはいけないということもないですが、きれいに書くことに集中、満足してしまうと、理解が薄まる可能性があります。
ノートを書くというのは、後で見直すことによって得られるインプットの準備です。
そのインプットの準備に手間をかけすぎると、インプットの時間が減ってしまったりします。
準備運動をしすぎて、体は充分にほぐれているにも関わらず、やりたかった運動をする時間が無くなるようなものですね。
ということは学校の先生は教えてくれません。
むしろ、「ノートチェック」などというものが存在して、きれいに書かなかったら評価は落ちて、きれいに書くと評価が上がることすらあります。
これをやっていると、ノートを汚なく書くことは悪で、きれいに書く事が良いということになってしまいますね。
これはまさしく、手段が目的化しています。
野球を上手く出来るようになりたいのに、準備運動にこだわる事って正しいでしょうか?
この事に気づいていない大人すら少なくないのではと思います。
何故なら、そのような教育を受け今まで順調に来ていれば疑う機会すら無いかもしれません。
その大人が子どもに同じことにして…
というように連鎖していきます。
ノートを書かなくても理解できる人であれば書く必要はないはずです。
ここまで、書くとノートは必要ないと思われてしまうかもしれないので効果的な書き方も伝えておきます。
学校のノートは「書き写しの作業」になりがちなので、「自分で重要なところを考えて」ノートに書くというのが良いです。
つまり、自分が先生で教える立場になったときの為にノートをとるという感覚です。
勉強が得意な人のなかには、教えることが1番身に付くと考えている子もいます。
まさしくその通りで、教えることが出来るくらいに理解していれば問題があるはずがないですね。
私は今後、出来そうな子に対しては授業を逆にしてもらって、助言を加える形にしようと考えています。
試した感想はまた書きます。
今回は学生向けに書いたので、心当たりがある人は改善し試してみて欲しいです。