ロゴノユメのブログ

NewsPicksなどに挙げられていたニュースから教育分野を中心に記事を作成しています。

国の豊かさと少子化

今回は、国の豊かさと少子化について書いていきます。

まず結論としましては、

「国が豊かであればあるほど、少子化の傾向は強くなる」

となります。

細かく見ていきます。

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現在日本でも問題になっている少子化です。

つい最近出生率が3年連続下がり、亡くなった人数が戦後最多であったと報道されました。

つまり人口減少が今までで1番の年であったということです。

実際ほとんどの先進国はどこも少子化に直面はしています。

なぜ日本だけここまで話が挙がるかというと、高齢化も同時に起きているからですね。

特に高齢化どころか、

「超高齢化」

とも言われるくらいの状況であるということも理由になるでしょう。

いわゆる、少子超高齢化社会となりつつあるということなのです。

一方、教育などが整っていない貧しいと言われる国の方が明らかに出生率は高いです。

これはなぜなのでしょうか。

国が豊かであると少子化が進み、国が貧しいと子どもが多くなる背景には、

「女性の社会進出」

があります。

貧しい国であればあるほど、女性に力は無く男性に頼ることが多くなります。

豊かな国であれば、今の日本のように女性も社会進出をするため、男性に頼らずとも生きていくことも出来ます。

今の日本は女性の社会進出を促していますが、皮肉なことに、やればやるほど少子化が進みやすいです。

どちらが正しいのか、ということはありません。

その時の時代の流れに沿うしかないのです。

それでは何をしなければばならないのかというと、
今を楽しんで生きていくしかありません。

どうせ変わらないなら、楽しんでいくのか諦めてつまらない生活をするのかですね。

あくまで現状から見た将来の話でありますから、本当に予想通りに進んでいくかは確実ではありません。

とにかく楽しむしか選択肢はないと思います。

人生を楽しみましょう。

今回は豊かさと少子化について書きました。

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まとめ

少子化は先進国には共通の話

・日本は超高齢化もある

・楽しく生きていくしかない

非認知能力とは?

今回は「非認知能力」はなぜ大切なのか、について書いていきます。

 

 

非認知能力とは、テストの点数やIQなどで測ることが出来る認知能力に対して、「我慢する力、やり抜く力」など点数化が難しいような能力のことを指します。

 

 

結論を書くと、

 

 

「認知能力も大切ではあるが、非認知能力も大切である。やり抜く力や自分を制御できる力は認知能力の土台ともなり重要である。」

 

 

と考えます。

 

 

細かく見ていきます。

 

 

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相手の立場になって考えるには

今回は「相手の立場で物事を考える」ということについて書いていきます。

 

私の考えでは、

 

「相手の立場で考えられるようになると、行動や言動などを推測することが出来るようになる。身につけておきたい能力の1つである。」

 

となります。

 

細かく見ていきます。

 

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「相手の気持ちを考えて発言しなさい」



このように言われたことは誰にでもあるのではないでしょうか。



小学校などで人に嫌なことを言って、そのあとに怒られた時に言われると思います。



人の気持ちを考える、というのは相手の立場になって考えるとほぼ同じと考えられます。



相手の立場になって考えるという能力は

、かなり大切な能力になります。



相手の立場になって考えると出来るようになることがいくつかあります。



①相手に不快感を与えない



②相手が求めていることがわかるようになる



他にもあるとは思いますが、この2点は必ずあります。



まず①の、相手に不快感を与えないです。



これ言ったら相手は傷つくだろうな、嫌な気分になるだろうな、と考えるようになります。



相手の立場になって考えられない人は、さらっとこのような言葉を言ってしまうことがあります。



その事がきっかけになり、関係が悪くなってしまったりします。



あるいは悪い印象を持たれてしまうなどですね。



こちらは悪い面を無くせる、というものです。



対して、②の相手が求めている物事がわかるようになるです。



不快感を与えないことも当然大切ですが、相手が求めている物事が分かると他の人よりリード出来ます。



例えば、友達がイライラしていたとします。



とにかく愚痴を聞いてもらいたい人もいれば、1人にしてほしい人もいるのではと思います。



このような時には、相手の立場になって考え、どちらが良いかを判断する必要があります。



プレゼントを渡すときも、完全に相手の立場になって考えますよね。



自分だけの好みの物を渡しても喜んでくれない可能性があります。



これらの力がある人は、人間関係が上手くいきやすいです。



相手が求めていないもの、求めているものが分かるようになるので当然ですね。



なので、相手の立場になって考える能力をつけましょう。



では、どうすればその能力を手に入れられるのかですね。



まず必ず意識しなければいけないことは、



「相手の話をよく聞く、相手の様子をよく見る」



これらが必要です。



主観もあるかもしれませんが、相手の立場になれない人は、話を聞いていない人が多いです。



話をあまり聞いていないので、相手が何を考えたり、求めているのかが分からなくなってしまいます。



性格もあるので、ついつい自分の話をしたくなってしまうかもしれませんが、そこは我慢が必要です。



なかなか慣れていない人は、すぐに

 


「でも、だけど、」



等の言葉で会話を止めてしまいます。



「話は最後まで聞け」



と言われますが、案外大切だったりしますね。



口を挟みたくても、耐えて耐えて話を聞くことが大切です。



まとめとしては、



なぜ相手の立場で考える事が大切であるかというと、


①相手に不快感を与えない



②相手の求めている物事が分かる



そして、その力をつけるためには、



とにかく人の話を最後までよく聞く



となります。



子どもも大人も誰でも必要な力になるので是非つけておきましょう。



今回は、相手の立場になって物事を考えるということについて書きました。


うつ病を減らすには

今回はうつ病を減らすには、ということについて書いていきます。


私の見解としては、


「結局はストレスですが、ストレスを感じる上で大部分を占めているのはやりがいの大小ではないか。」


と考えています。


細かく見ていきます。


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最近ではうつ病というものが増えていて、社会問題にもなっています。


1990年代ではうつ病というものは精神科の専門的な病名として取り扱われてきた様です。


そして96年から10年間で2倍に患者が増えてしまったとされています。


現在ではより社会問題となっているため、その数は増えていると考えられます。


このことから分かる通り、専門的な話ではなくなってしまっています。


最近のニュースでは「長時間労働」ということが言われ、働き方改革と呼ばれるものも実施されています。


ただ労働時間が多すぎることも問題ではあるものの、労働時間に関係無くうつ病になってしまう様です。


そこで、労働環境がうつ病を引き起こす原因となることが考えられます。


そのうつ病を引き起こす原因として大きなものの中に、「やりがい」というものがあると考えられます。


やりがいを簡単に表すのであれば、


「仕事に対して充実感、満足感、幸せなどのプラスな気持ちを感じること」


ではないでしょうか。


考えれば分かる通り、仕事が楽しいのに仕事をしたくなくなるという人は少ないはずです。


子どもでも、ゲームを楽しいと思ってるのにやりたくなくなることはないですよね。


ゲームをやめたときは、きっと楽しさが無くなり、飽きたという感情が大きくなった時であるはずです。


ではどういった時に仕事のやりがいが無くなってしまうのでしょうか。


例えば、周りから信頼をされていない、必要とされていないと感じてしまうような時です。


人は誰でも、心のどこかで


「認めてもらいたい」


という気持ちがあるはずです。


このことを「承認欲求」といいます。


承認を感じるポイントは、見てもらえていることを実感することです。


頑張りを褒めてもらう→頑張りを見てもらえている


髪型やファッションの変化に気づいてもらう→普段から見てもらえている


人は褒められるときに、見てもらえている過程を大切にします。


見ず知らずの人に褒められて喜びを感じるかもしれませんが、普段から接している人からの方が嬉しいですよね。


他にも叱る、あるいは叱られる時も同様です。


普段ならこんな失敗をしないはずだ→普段の様子を見てもらえている


さすがに叱られているうちに嬉しくなることはないと思いますが、見てもらえている実感は得られます。


人は、このような承認欲求を持っているはずです。


うつ病になってしまう人は、この承認される量が少ないのだと考えます。


最近、「中高年の引きこもり」という言葉もよく耳にします。


様々な原因があると考えられますが、早期退職がきっかけになる人も少なくないようです。


推測ではあるものの、


早期退職の枠に入ってしまう→自分は必要のない存在だと思ってしまう


中高年である→基本的に上司であるため、なかなか褒められる機会が少ない


これらが合わさり、退職してその後さらにエスカレートして引きこもってしまうのではないでしょうか。


つまり言いたいことは、


「いつどんな立場でも承認は必要」


ということです。


年下、年上、部下、上司は関係ないです。


そもそもそのような上下関係も原因の1つと考えられます。


みんなが上下関係など気にせずに、お互いを認め合えるような社会が必要なのではないでしょうか。


もちろん、承認が足りないことだけが原因ではないと思います。


しかし承認は意識さえすれば出来るようになることです。


一人でも多くの人が楽しく働くことが出来るよう、望んでいます。


そして、自分自身もそうありたいと思います。


今回はうつ病を減らすには、ということについて書きました。

AIに仕事を奪われるのか

今回は文系の仕事はAIに淘汰されてしまうのか、ということについて書いていきます。


近頃、AIによって人間の仕事の多くは無くなってしまうというニュースを聞いたことがある方も多いと思います。


個人的な意見としては、


「AIによって仕事が無くなるが、同時に新しい仕事も増えるはずです。AIに出来ることはAIに任せて、人間しか出来ない事をもっと出来るようになる。」


このように考えています。


深く見ていきましょう。


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まず、理系の人間よりも文系の人間の仕事が無くなってしまうと言われています。


そもそも理系と文系を分けていること自体が世界を見ても珍しいようです。


私自身もそうですが、日本だけでここまで育ってきていることもあるので当たり前だと思っていました。


皆さんも体験した方は多いはずですが、高校の2、3年生あたりで文理選択をしたと思います。


当時も思っていましたし、現在でも思いますが、仕事について大雑把なイメージしかついていない高校生にいきなり決断をさせるのはどうなのかと思います。


教師の中には、


「数学が苦手だから文系、のように得意不得意で決めるものじゃない」


と言っていた覚えがあります。


仕事に対して漠然としたイメージしか無いのであれば、得意不得意が大きな判断材料になるのは当たり前でしょう。


ここで文理の選択をすることによって、仕事の幅がいきなり狭まります。


また文理選択をすると、文系であれば数学から離れて、理系であれば国語から離れます。


そのブランクによって、元々は出来ていたはずなのに苦手意識が芽生えてしまうこともあるようです。


もちろん選択をすることによって専門性を高めることは出来ますが、選択肢を大きく削るほどの対価は得られないと思います。


そしてその文理選択をしてきた結果、文系はAIに職を奪われやすいらしいのです。


事務、販売、接客は文系が主に担っていて、それらが無くなるそうです。


それに加え現在も新卒一括採用が主流でありますが、徐々に通年採用が増え育ててくれる企業が減ってしまうらしく、これも文系にとって痛手とのことです。


しかし冷静に考えて、AIが出来ることを人間がやるっておかしい話ですよね。


ラクターがあるのに畑仕事を全て手作業でやるようなものですから、AIに仕事を任せるのは当然です。


加えて雇用が無くなると同時にAIなどによって新たな雇用が産まれたりなど、今までは無かった雇用が発生します。


つまり、新しい価値の提供が可能となります。


これは良くないことなのでしょうか…?


とはいえ価値を産み出せない人間は仕事が無くなる可能性もあります。


自分には、誰に対してどのような事が出来るのかを考える事が大切なのではないでしょうか。


そのような事を考えられれば文系だろうと生き残れますし、逆に理系であっても考えられないのであれば危ういかもしれません。


ということで、今回は文系の仕事はAIに淘汰されてしまうのかについて書きました。


コメント等お待ちしています。

教育虐待とは

今回は教育虐待について書いていきます。


この教育虐待は最近ネットで話題になっているそうで、簡単に言うと、


「親が子どもへ教育の押し付けをする」


というものです。


この事についての私の考えは、


「善かれと思っているからこそ押し付けてしまう場合が多いのではないでしょうか。子どもの自主性を重んじる事が大切です。」


というものです。


詳しく見ていきます。


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今回NewsPicksさんに挙げられていた記事はこちらです。


https://newspicks.com/news/3948149


タイトルは『特定進路を強制、幼少期に入信させる……。見過ごされる「教育虐待」の実態とは』


というものです。


この記事に対する私のコメントです。



このようなパターンの親御さんの多くは、子どもの為を考えての発言や行動なのだと考えられます。
しかしそれは親世代から見た人生の「王道」であり、それが子どもにとっても必ずしも共通するとは言えないでしょう。
押し付けるのではなく、子どもの自主性を重んじることが大切です。


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みなさんの中にも、この手の話を聞いたことがあるという方もいるのではないでしょうか。


私自身もこのような事には関心はありましたが、教育虐待という言葉があることについては知りませんでした。


その教育虐待は恐らく、親の善意から起きてしまうものであるという特徴があります。


例えばテレビなどで取り上げられたりすることもある、週6、7回の習い事ですね。


もちろんこのような教育方針によって、様々な能力を持つ人になれたりすることもあります。


あるいは子ども自身も楽しんでいたり、子どもが自分でやりたいと思った事であるなら良いと思います。


しかし、一方でその事がリスクになってしまうという可能性があります。


当然週6、7回では、ほとんどの日々が


「学校→習い事」


というサイクルになるので、子どもの他の物事への
興味などを持つ機会を奪ってしまうことになりかねません。


ましてや、子ども自身が乗り気でなかったり嫌々やっているのであれば大きなストレスとなります。


人間は基本的に12歳程度までにはほぼ人格が完成すると言われるので、その間に大きなストレスがかかることのリスクは当然大きいです。


あとは習い事にも含まれているのかもしれませんが、中学受験を意識した塾通いなどですね。


中学受験を子どもの意思とは関係無く受験させるために、毎日塾に通わせ、そこで厳しい指導を受けるというものです。


こちらも子どもの自主性が無視されていて、合格して入学をしたところでガス欠状態になり成績が落ちてしまうというパターンもあります。


これらのように、子どもの自由を奪ってしまう事を
教育虐待と言います。


再度言いますが、子どもへの嫌がらせとしてこのようにしてしまう親はいないはずです。


善かれ善かれと考えているうちに子どもの意思を奪いかねないということです。


子どもの自主性に任せつつも、人としてやってはいけないことは正す。


そのような教育が出来れば子どもも伸び伸びと成長出来るのではないでしょうか。


今回は、教育虐待という事について書きました。

自分への期待を捨てる

今回は「自分への期待を捨てる」ということについて書いていきます。

昨日のブログでプラス思考について書きました。

期待を捨てる、ということでネガティブに見えますがプラス思考につながります。

これについて私の意見は、

「期待を捨て、ハードルを下げることにより小さなことでも自分を認めるなどのプラス思考が出来るようになる。」

このようになります。

掘り下げていきます。

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今回のNewsPicksさんに挙がっていた記事はこちらです。

https://newspicks.com/news/3943962

タイトルは「自分への期待は捨てよ 「打たれ強さ」を身につける方法」

となっています。

この記事を読んでの私の中の感想です。



自分への過剰な期待を捨て、ハードルを下げることによってプラス思考を働かせているとのことですね。
どうしても気になってしまいますが、劣等感を抱いてしまうのは自分よりも上の人を見てしまうからです。
自分なりに努力や成長が出来るのであれば、それで良いと思います。
輝ける場所は人それぞれです。

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自分への過剰な期待を捨てるということですね。

自分への期待をしっかりと持ち、落ち込むこともなく成功出来ている人はそのままで良いです。

そのまま突き進めば良いと思います。

逆に自分に期待をしすぎて、プレッシャーに感じて裏目に出てしまう人ですね。

例えばテストなどで表すと、

目標→80点 前回→60点 今回→70点

だったとします。

プラス思考であれば、

「目標に届かなかったけど10点上がった!!」

となるはずです。

これは自分への期待としては80点だったものの、点数が上がっている事に注目をしています。

一方自分への期待が高いと、

「10点上がったけど、目標に届かなかった。」

となってしまいます。

起きている事実は変わらないのに、捉え方によってプラスになるかマイナスになるか変わります。

なので、自分への期待が大きいとマイナスになってしまうこともあります。

自分への期待を下げることによってプラス思考にするというのは、こういった事なのではないかと思います。

あと、自分への期待が大きい人は周りとの比較をしがちです。

他の人は出来ているのに、自分は出来ない…と思ってしまいます。

自分なりに出来ているならそれで良いのではないでしょうか。

同じ人間とはいえ、当然得意なこと、不得意なことはそれぞれあります。

必ずと言っていいほど、誰しもがひとつは得意なことを持っています。

苦手だけどやらなければならないことは、自分なりの努力をして、あとは得意なことを伸ばせば良いです。

どうしても苦手なものを克服しようとする気持ちは大切かもしれませんが、はっきり言うと大変であり、辛いと思います。

それでもやりたい人はやれば良いですし、辛い人は他の事で自分を磨きましょう。

全員が同じように成長をしていく必要は無いので、自分が得意なことを、出来ることを伸ばしていきましょう。

ということで、今回は自分への期待を捨てるということについて書きました。